ある風景

「世の中にはこんな場所があるのに、何故私はここにいるのだろう、、、。」 そう思ったあの瞬間に私の南国病は始まったのだと思う。 私は幼い頃から本の虫だったので両親はおこずかいの代わりによく図書券をくれていた。 小学生低学年のころからその図書券をにぎりしめてその頃住んでいた大阪の緑地公園という駅ビルの地下にあった本屋で読みたい本を探すのが楽しみだった。ちょうど夏休みに入った頃だったと思う、暑中お見舞いを書こうと思いその日は本ではなく葉書きを買いにいった。(当時は皆当たり前に書中見舞いや年賀状を出していた!)暑中お見舞い用葉書きが並ぶ棚にあった一枚の葉書きに目が釘付けになった。それはそれは真っ白な砂浜に、透明にちかいターコイズ色の海。そしてその中で泳ぐ熱帯魚、椰子の木、、、、。いまでもはっきりと覚えているのだがその写真を見た時、あぁ綺麗だなという感情を通り越して悲しいというか悔しい気持ちになった。自分がその風景の中にいないという事実が子供心にも受け入れられなかったのだ。自分の本当に好きな世界はこの写真の中に全てあるという事が本能的にわかってしまったんだと思う。結局その葉書きを買って帰ったものの使う事ができず机の横に貼っておいた。 しかしその葉書きも父親の転勤で九州へ引越した時に失くしてしまった。それ以来その葉書きの事は忘れていたのだが、タヒチで暮らし始めて以来たまに思い出すのだ。もう数十年前の事なのに今頃時々あの葉書きの風景が頭をよぎるのだ。 あの時に始まった南国病はタヒチで完治したよと言う事なんだろうか?

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